子どものころにゲームと出会い、その面白さに魅了された山元佳葉子。ゲーム熱は冷めることなく、大人になってからは開発者としてゲームと共に歩んできました。現在、若手社員を指導するマネージャーとして、また二児の母としても多忙な毎日を送っています。今後も仕事を謳歌していきたいと語る山元が伝えたいこととは─
▲香港出張では手掛けるゲームを自ら海外CEOへ紹介も
子どもだった頃、任天堂のファミリーコンピューターが流行っていました。
その影響もあり、私もゲームが大好きでした。ファミリーベーシックというゲームをプログラミングする機械を買ってもらって、ゲームを組んで動かしていました。当時からゲームをつくる楽しさを感じていたと思います。
大学で本格的にプログラミングの勉強をして、ゲームをつくりたかったのでセガ・エンタープライゼス(現:セガ)に入社、10年ほどプログラマーをしていました。昔から今まで、変わらずゲームが大好きなんです(笑)。 セガ時代は、一貫してアーケードゲームをつくっていました。徹夜作業や社内に泊まることも多々ありましたが、振り返ると充実していて楽しかったなと思います。
その後、ダーツライブへ転籍しました。転籍した理由は、規模感です。
セガのつくるものは展開する先も大きいことが多く、ビッグタイトルに携わるやりがいのある一方で、規模の大きさがデメリットに感じる側面もあったのです。 どうしても一つのプロジェクトが30〜40人体制になるので、たとえば「リザルト画面だけお願いします」、「オープニング部分のみ担当です」ということも多くありました。
そうなったとき、「何をつくっているんだっけ?」という疑問を抱くようになりました。完成するまで部分的にしか見えてこないので、ゲームの全体像がぼやけていくことに抵抗があったのだと思います。
そこで、ゲームの最初から最後まで手掛けられる規模感の方が自分自身のモチベーションにも直結していくと思い、転籍を決めました。
2021年現在は、ダーツライブの企画開発チームでマネージャーをしています。
一つのコンテンツだけを見るというよりは、ゲームマシン全体の制作と進行管理を行いながら、総合的にディレクションしています。企画やソフトがつくってくれたコンテンツへの指示出し、プロジェクトのリソース管理やタスク調整、経営陣へどうプレゼンを持っていくかなどを考えていますね。
「一部分だけではなくトータルでゲーム開発をやりたい」と考えていた私にとって、転籍して10年以上経った今も、その願いを実現できている環境だと思っています。
▲ダーツライブ入社当初から約10年担当したゲームマシン
仕事をする上で大切にしていることは、「自分がおもしろいと思えるかどうか」です。
ゲームをつくるときはユーザー目線で考えるようにしています。それは自分が幼いころからゲームが好きで、喜びや悔しさ、達成感や満足感など、いろいろな感情を体験させてもらってきたからだと思います。
開発する立場にはなりましたが、自分が試してみて面白くないものは「面白くない」と言う。自分がそう思わない限り、自信を持って世の中へお届けできないので、そこは大事にしています。
企画に限らず、この仕事に関わる人たちには「自分が楽しめるものをつくる」ということに、徹底してこだわって欲しいと思っています。
というのも、私はセガ時代からずっとアーケードゲームをつくっているのですが、アーケードゲームって1回目の100円で判断されてしまうのです。まずプレイしてみて、その1回目が面白い体験でなければ、次のプレイにつながらないんです。
家庭用のゲームソフトは、はじめにお金を払って買うので、多少「あれ?」と思っても最後までプレイするじゃないですか。もちろん家庭用ゲームだから妥協が許されるということではないのですが、アーケードゲームは非常にシビアなコンテンツだと思っています。こういう考えは先輩方から学んできたことなので、私もしっかり継承していきたいと思っています。
そういう意味でも、製品の質にはこだわっていきたいので仕様書通りにつくったものをゴールにしないということを意識しています。 言われた通りにつくることは、プロとして当たり前ですよね。その状態から、さらに1フレームや一瞬に、ちょっとしたこだわりを積み重ねていくことが、プレイしてくれるユーザーの気持ちいい瞬間に変わり、達成感・満足感につながると信じています。
だからこそ、そのプラスアルファにこだわりたいですし、そこにゲーム開発者の力量が出ると思っています。 仕事は、言われた通りにやったほうが楽ですし、私自身も何度も修正指示を繰り返していると、「もういいかな、みんなも大変になるし」と思うこともあります。ですが、ユーザーの顔が浮かぶと、やっぱりダメなんです。
こちらが100%の自信を持ってお届けできないものにお金を払ってもらうなんて申し訳ないし、恥ずかしい。ユーザーにも、そういう部分は、きっと気づかれてしまうと思っています。ですから、「こういう部分が次につながっていくから頑張ろう」ということは、意図してチームに伝えていますね。
強く伝えながらディレクションしていくという仕事は、目指すべき方向がブレていくと、どんどん独りよがりなゲームづくりになってしまうので、責任重大です。そのため、関わる人とはできるだけ密にコミュニケーションを取って、誤解がないように進行したり、話を回したりしていくことに気を配る必要があると思っています。
▲自身が開発したゲームのアプリ版で遊ぶ子どもたち
私生活では、子どもが二人います。
下の子はまだ3歳なんですが、子どもが生まれて、さらに仕事が楽しくなったような気もしています。当たり前ですが、職場では相手が返事をしてくれるし、言ったらやってくれるし、言葉が返ってくるじゃないですか。言葉の通じない乳児との育休から復帰したとき、仕事は大変でも「相手は大人じゃないか」という気づきはありましたね(笑)。
ダーツライブでは、コロナ禍前から週1~2の在宅勤務制度を導入していたので利用していました。週の中で1日だけでも在宅勤務ができると、通勤に費やしていた時間で家庭や子どもの用事を済ませることができて助かりました。
昨年4月に緊急事態宣言が発令されて、全社的に在宅勤務になり、子どもの学校もお休みになったときは、今でいうワーケーションをしました。
千葉に祖父の祖父が住んでいた、100年以上昔の古い家があるのですが、以前から週末だけ子どもたちと泊まりに行ったり遊んだりしていたのです。そこへ家族で、3か月ほど移住しました。
平日はテレワークで仕事をして、週末はデジタルな情報から離れて焚き火をしたり海に散歩へ行ったり。そういう環境で仕事ができたとのは、精神的にもありがたかったですね。融通がきく会社のおかげで、コロナ禍においても心穏やかに暮らせました。
とはいえ、マネジメントをしていると自分軸だけで考えていれば良いわけではありません。育休から時短勤務で仕事復帰をしたので、在宅勤務であってもなくても、私の退勤後にも部下は作業しています。なので、退勤後であっても、ログはこまめにチェックしています。
何か問題が発生したとき、部下が「かよさんはもう退勤しているし、明日の朝に相談すればいいか」とならないよう日頃から気をつけています。必要であれば夜にでも、たとえ相手が確認するのは翌朝であっても、その日中に答えを出してメールをしておく。
ゲームをつくっていく過程でも「どうしてこうしたのか」と、ふと感じたことはその場でプランナーやプログラマーに尋ねて解消していくことも、これまで以上に意識するようになりました。
子どもが生まれ「私は仕事が好きなんだな」ということを改めて感じましたが、時短勤務は、仕事の進め方やワークライフバランスについても見直すきっかけとなりました。
振り返ってみると子どもの頃からゲームが好きで、それが社会に出てからも続き、ずっとゲームづくりを仕事にできています。一日中好きなことを考えている状態なので、とても幸せだなと思います。
この仕事の魅力は、紙の上で見ていたものが、形になって実際に動き出し、触れて遊べるようになって、みんなが一喜一憂してくれること。そのすべてに携わることができるのが、何よりもうれしいです。しかもそれを、世の中に出せるなんて最高に楽しいですよ。 一方で、まだ形にはなっていませんが、ずっと考えていることもあります。
私は入社前からダーツも好きで、友人と朝まで楽しんでいました。結婚してからも、子どもが生まれる前までは、夫と夜にダーツやビリヤードに出かけていました。 ですが子どもができたら、そういったことは一つもできなくなってしまいました。
きっと私だけでなく、同じような人がたくさんいると思うのです。それが、子育て世代に向けたコンテンツなのか環境なのかは分かりませんが、そういう理由で離れてしまった人たちに届けられるものはないかと「私だから届けられる何か」を探していて、いつか形にできたらと思っています。
私はずっとエンタテインメント業界で仕事をしてきましたが、この業界で仕事をしていきたいと考えている人には「若いうちから、めちゃめちゃ遊んだほうがいい!」ということを伝えたいです。
どういうときに自分が楽しくなったり悔しくなったりして、どんな時にアドレナリンがバーッと出るのか。その実体験がない人が、それらを生み出す側になることは難しいと思うのです。
自分が好きなことなら何でもいい。浅く広くでもいいし、狭く深くでもよくて。とにかく遊んで、楽しさを知ること。それが、自分が楽しみをつくり出す糧になるはずです。自分が楽しいことをきっちり持っている人が強い世界なので、若いうちから遊び尽くしてほしい。私もこれからも、思う存分に楽しみ尽くしながら、仕事を謳歌していきたいと思います。