2009年にダーツライブに入社した前沢 暢之。
グラフィックデザイナーとして充実したキャリアを歩んできた彼は、ダーツライブへの入社をきっかけに、プランナー職に出会います。仕事のやり方は変わっても根っこにあるものは変わらない。
そう語る前沢には、クライマックスの感動を届けたいという想いがありました。
2021年現在、新企画・ソフトウェア開発部でプランナーとして仕事をしています。部が目指しているのは「新しい感動体験を与えること」と「ワクワクするプロダクトの創出」です。
私はそこで、受け持ったプロジェクトの企画や進行管理、マーケティングチームとの連携などを担当しています。少人数部門のため、開発やプロモーションの進行管理やサポートなど、プロジェクトを円滑に進めるために広く担当することもあります。
ダーツライブはソフトダーツが主幹事業なので、その資産を活かした新規事業を開発しているプロジェクトもありますね。たとえば、ダーツを投げる動作を活かした手裏剣ゲームマシン「ニンジャトレーナー」やキッズ向けダーツマシンなど、ダーツをより有効な資産として活用していこうと考えています。 また、コロナ禍においては再び自分たちの持つ資産価値を見直す機会が生まれ、チャレンジとして新しいジャンルのアプリ開発も行いました。
対象が何であれ、新しいものをつくるときは自分がターゲットになったつもりで、ターゲットが望むゴールを想像するようにしています。その上で、プロジェクトの目的や本質をひも解きながら企画していき、完成した仕様に対してデザイナーやプログラマーの協力を得て、整理していきます。
ターゲット起点以外にも、「自分はこれが好き!」という自分起点のアイデアも大切にしています。一見安易に感じるかもしれませんが、自分事だからこそ、それが企画としてハマった時の熱量や説得力は強くなると思っています。企画していく過程で色んな課題や問題が起こったとしても、そうやって自分のつくったものが、誰かに楽しまれたり喜ばれたりしているのを実感したときに、大きな達成感を感じます。
私はもともと広告のプロダクションでグラフィックデザイナーをしていました。幼少期から漫画やアニメ、ゲームが大好きで、影響されて自分でも絵を描くようになりました。
これは昔からそうなんですが、私はアニメでもゲームでもクライマックスシーンが大好きなんです。 クライマックスって、ほんの数秒しかないけれどいろいろなものが詰まっていますよね。それまでの過程や培ってきたものが一気に発散されるというか。あの瞬間に、いつも感動させられてきました。
広告やデザインは、パッと見たときのインパクトや、キャッチコピーとグラフィックのバランスで成り立っています。そこが「いかに一瞬で人を立ち止まらせて興味を持たせるか」という点で、アニメやゲームのクライマックスシーンと同じとだと感じたんです。 広告のグラフィックは、常にクライマックスだと思っているので、感動やインスピレーションを頭に描き、それをイラストやデザインで表現できたときに充実を感じてきました。
そうしてデザイナーとして働いてきたのですが、成長につれて「いつかメーカーに入ってゼロからものづくりに携わってみたい」という想いが芽生え、ダーツライブの求人を見つけて入社しました。 入社直後は、経験を活かしデザイナーとして働いていました。販売促進のパンフレットやダーツ専門誌のデザイン、コンテンツのグラフィック制作などを担当しました。
やはり、メーカーなだけあって「目的」が明確にあり、それに沿ってデザインも進めていくので、プロダクションで働いていた時と比べ、やりがいも大きく感じました。デザイナーとしての広がりも感じられて楽しかったです。
エンタメの会社なので、みんなが自分やユーザーの“楽しい”を追求していましたし、自由に発想して試行錯誤できる環境にワクワクしていました。 そんな環境に身を寄せるうちに、プランナーに魅力を感じるようになっていったんです。はじめは見様見真似でしたが、自分の担当範囲をデザインしながら、それを活かした開発企画やプロモーション企画をするようになり、提案する機会も増えていきました。
ある時、上長の方が「よかったら企画も一緒にやってみなよ」と言ってくださって、まずは企画とデザイナーを掛け持ちしながらやることになりました。仕事内容に制限をつけず、デザインと企画どちらにも熱を持って取り組んでいくうちに、次第に企画の業務が増えていくようになりました。
デザイナーからプランナーになろうとしたとき、最も弱点だと感じたのは、それまでの自分の考えの未熟さです。単純に言ってしまえば、アイデアや思いつきを企画だと思っていました。振り返ると、本質とかビジョンとかそういった掘り下げて考える視点が全然なくて、手段と目的とがすり替わっていることも多かったです。
見た目というかディテールにこだわりすぎちゃって、それを達成することでターゲットにどんな感動や気づきを与えられるのかを明確に分析できていませんでした。当時の自分の中では、最高に良い企画だと思っていても、実はアイデアレベルの発想でしかなくて、スタートからゴールまでがつながっていないこともしばしば…。せっかく指摘していただいても、上手く理解できないこともありました。
ただ、それでも上司や先輩方が諦めずに、真っすぐ向き合ってくれる環境があったお陰で少しずつ気づきを得られるようになりました。
しかし、デザイナーだったことで良かったこともたくさんありました。特に、企画を正確に伝えるスピードとクオリティです。一人でもイメージを広げたり、絵にかき起こしたりすることができるわけですから、企画の段階から具体的なイメージやディテールを自分以外の人に伝えることができます。
企画を練りながら同時に頭の中で企画書がデザインされていく。そこは自分の強みだと思っていますので、これからも活かしていきたいと思っています。
広告プロダクションでデザインをしていた当時はクライアントからのオーダーがあって、それに沿う提案やデザインをしていく業務でした。
でもメーカーに入社したことで、そもそも自分たちは何をしたくて、何を届けたいのか、クライアントがやっていた部分を自分で考えることになりました。自分がしたいことを形にして届けられているという意味では、今の仕事はとても充実感があります。
もともとアニメやゲームのクライマックスシーンが好きで、それが高じてデザイナーになり、メーカーに入社し、気づけばプランナーになっていて、いろいろ様変わりしてきた気もしますが、改めて今まで挑戦してきたことを振り返ると自分のテーマにしてきた「クライマックスシーンを届けたい」という想いは変わっていません。
普段から業務上ToDoリストを決めて開発していいますが、それ以上にToBeも考えるようにしています。現在の業務や環境を通して、一歩先の未来の自分がどうなりたいか、仲間やチーム、身の回りの人たちも巻き込んでどんな状態にしたいのか、できる限り俯瞰してみて一つ一つの業務の役割を明確化するよう心掛けています。
プランナーに転身し色々と気づきを頂いたことで、そんな一歩引いた考え方が自然と身についてきました。今となっては、これまでの職種や経歴、日々の仕事や生活も、そのすべてが人生のToBeの一部なのだなと感じています。俯瞰し過ぎてとうとう人生観まできちゃいました(笑)
そんな壮大な企画に想いを巡らせながらも、子どものころに体験した「クライマックス」の感動を世の中に届けていけるよう、これからも何より誰より私自身が全力で楽しんでいきたいと思います。