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輝く社員が登場!ダーツライブ公式ブログ シャイン
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【20周年特集Vol.2】「ブームではなく文化へ」ダーツライブをヒットに導いた社員たちの想い

​今から20年前、2003年11月にダーツライブが誕生しました。
ダーツライブ20周年を記念して、社員が語るそれぞれの想いをお送りします。
2003年に正式リリースされたダーツライブ。その登場をきっかけにダーツ人気が全国に広がっていきます。Vol.2では、現場で働きながら、ブーム到来を間近で目撃した社員が当時を振り返ります。

Vol.1 ダーツライブ誕生秘話:開発者が語るダーツライブへの想い

Vol.3 20年経っても受け継がれる想い Z世代が語るダーツライブ


プロフィール

加賀屋さん
加賀屋さん

2003年に株式会社ヒットメーカーに入社。現在はサービス戦略本部の副本部長を務める。20年前はダーツバーに来店された方に対してダーツライブのアテンドを担当。レーティングは10。趣味はダーツ。好きなものは点数よりも〆優先のクリケット。

亀山さん
亀山さん

1997年セガ・エンタープライゼスに秘書として入社。ヒットメーカー転籍後から現在まで営業のバックヤード業務一筋。レーティングは最高値8だけど現在は4。フォームだけAA。好きなものはひき肉。

竹之内さん
竹之内さん

1999年に株式会社セガ・エンタープライゼスに入社。20年前はゲーム開発に携わりながらプロモーションを担当する。現在はIPコラボや外部企業とのアライアンスにより数々のコラボ企画を担当。レーティングは20年変わらず5~6を推移。エンタメ全般に興味を持ちグループ内外にアンテナを張っている。趣味は、コラボ(笑) 

水上さん
水上さん

2002年に株式会社ヒットメーカーに入社。20年前は渋谷の大型ダーツバーの店舗作りに関わる。レーティングは12。現在は新規企画マーケティング部に所属。趣味はキャンプとスキー。


ダーツライブの開発がスタートして約1年。完成したダーツライブはどのようにお披露目されたのでしょうか。

竹之内:完成したダーツライブマシンは渋谷にオープンしたダーツバーでお披露目されました。 「マシンだけじゃなくて遊ぶ場所も作ろう!」という思想で、実はダーツライブの開発とほぼ同時に、当時のセガの子会社だったヒットメーカー(※1)とアミューズメント事業チームと一緒に渋谷にお店を作るところから始まりました。 

水上:そうそう、「ダーツが主役のお店を」ってことで、まずはメダリスト社製のマシンを12台設置し、当時では、日本最大級ともいえる大型ダーツバーが渋谷に誕生したんです。 ダーツライブを開発していた約1年間は、そのお店でお客さんにダーツを遊んでもらった反応や現場の意見を開発現場に持ち帰りました。

竹之内:現場の意見を取り入れながら完成したマシンは、BtoB向けのお披露目会を経て、ロケーションテストが本格的に開始され、いよいよ本稼働開始となったんです。 このようにしてダーツライブサービスは公式にお披露目されました。 

※1:ヒットメーカー:セガの開発部門(第3AM研究開発部)がセガの子会社化として独立し、株式会社しヒットメーカーとなる。ダーツライブはこのヒットメーカーで企画開発されたサービス。



どのようにダーツライブの人気が広まっていったのでしょうか

加賀屋:クチコミで広まっていきました。お客さんは携帯電話で操作して自分の名前をマシンに出せることにとにかくびっくりして喜んでいましたね。それで「見て!これすごいんだよ!」と人が人を呼んでくるのを間近で見ていました。 

水上:当時ダーツはまだ狭い世界でしたから、あっという間にダーツライブの噂が広がっていきましたよね。「ダーツナビ」というダーツの店舗情報が載ったサイトがあったのを覚えてますか?そこの掲示板でダーツライブがすごく話題になっていました。 
渋谷のダーツバーでのロケーションテストのすぐ後、関東を中心に既にメダリストのマシンが置いてあった13店舗でもコンバージョンキット(※2)を付けてテストをしましたよね。六本木のTriple Twentyやモンキーズ、TiTOで。ここでも大盛況で、どんどんダーツライブの話が日本全国へ広がっていきました。

竹之内:2003年当時、プレイデータが携帯電話で見られたり、携帯電話から操作してマシンに名前を表示させたりというダーツライブのサービスは、とても珍しくて画期的だったんですよ。なので、ダーツライブで初めて遊んだお客さんは本当にびっくりしていたんです。 

亀山:当時はもちろんまだスマホはなく、ガラケーの時代。1999年にドコモのiモードが登場したことでやっと携帯電話から天気予報とか掲示板などインターネットのサイトを見られるようになったんですよね。 

※2:コンバージョンキット:メダリストのダーツマシンをオンライン化し中身をダーツライブサービスにコンバージョンするキット。詳細はVol.1へ。


▲2000年代当時のダーツバー



ダーツライブの登場でダーツの遊び方に何か変化はありましたか? 

亀山:お客さんのダーツバーでの過ごし方が変わりましたよね。以前はダーツを投げて飲んでただ楽しい!って感じだったけど、みんなが携帯電話を見るようになりました。 

竹之内:スタッツやレーティングをチェックしたり、「いまどこ(※3)」を見たりね。 遊び方の変化と言えばマシンのモニターにカード名が表示されているから、話しかけて一緒に対戦するきっかけになったんじゃないかな。 

加賀屋:カード名の後に「@ホームショップ名」を入れるのはこの頃からだよね。あそこの店がホームショップなんだ、と自然に会話が生まれたり。 

水上:「隣の店でカウントアップ1000点出した人がいるらしい!見に行こう!」とか「全国ランキング1位の人はどんな人なんだ」ってお店のお客さん盛り上がってましたね! 

加賀屋:もともとダーツをやっていたような人は「すごい!本当の実力がわかる!」とレーティングへの興味が特に強かったな。実力が数値で可視化できるから「上達したい、うまくなりたい」という意識がお客さんに芽生えていったと思います。その結果ダーツライブのヒットで日本のカウントアップの平均点があがったといわれていましたね。 

亀山:今までリアルの場だけだったダーツが、オンライン化されたことでダーツの遊びや世界が広がっていきました。 「ダーツライブでこんな風にお客さんが楽しんでくれたらいいな」と思っていたことが自分の目の前で起きていて、さらに想像以上に楽しんでいる姿には感動しましたね。 

竹之内:そうだね。ダーツライブの企業理念は「!を仕掛けて、世の中に↑を。」だけど、当初のお客さんの反応はまさにこれ。僕らの仕掛けた「!」で、その場にいたお客さんがみんな楽しんでいました。本当にうれしかったです。 

※3:いまどこ:行ったことのあるお店で今誰が投げているかがわかる機能



ダーツライブの登場でダーツの人気を実感したことはありましたか? 

亀山:当時私は社内での仕事をメインにやっていたのですが、とにかく電話が鳴りやまなくなりました。ダーツライブのことが事業者に伝わって「うちにも置きたい」「いつマシン来る?」「カードは?」そんな問い合わせが一日中。うれしい悲鳴ですが、電話の音にノイローゼ気味に(笑) 

竹之内:ダーツをやるために連日お店に行列ができてたのはやっぱり人気を実感したよね。当時は投げ放題はなくて100円玉を入れてプレイしていましたが、コインが入りすぎてマシンのキャッシュボックスが開かなくなったことがよくありました。100円玉で30万円分とかかな。重いね(笑) 

加賀屋:僕は誰でも知っているような芸能人がダーツを始めたことかな。渋谷のダーツバーにもたくさんの芸能人が来てくれましたね。アイドルやお笑い芸人など、バラエティ番組みたいに豪華でしたね。実は超有名芸人にフィル・テイラーモデルのダーツを売ったことがある(笑) 

水上:ダーツライブが登場する前のダーツの大会って言ったら参加者が200人くらいだったけど、気づけば数千人とか集まるくらいの規模の大会になったことですね。会場の人の多さと熱気にダーツの人気を実感しました。 
あとは、渋谷や新宿なんかでダーツグッズ専門店ができ始めたことはすごいと思いました。東急ハンズにもダーツグッズを扱ってもらえるようになったり、いろいろな場所でダーツを目にする機会がとても増えましたね。 

竹之内:たくさんの人がダーツをやってくれて本当にうれしかったけど、僕らは当時「ブームにはしたくない、文化にしよう」って言ってたよね。ブームだといつか終わっちゃうから。 

亀山:そうだったね。でもこうして20年経って、今はカラオケやボウリングなど遊びの選択肢の中にダーツも入れてもらえるようになった。これはきっと文化になったんだと思う。 


サービスが開始されて20年。振り返って今どんな気持ちですか? 

加賀屋:20年経ってもやっぱりダーツが好き。いまだに投げるし好きな気持ちに変わりない。実はこれってすごいことだよね。

水上:20年前作られたダーツライブが今や日本を飛び出して世界中で遊ばれています。ここまでやってこれたのは、ダーツライブだけの力じゃなくて、遊んでくれるユーザー、取引先、たくさんの人たちの存在があってこそ。そんな気持ちを忘れずに感謝し続けて、これからももっと「!」を仕掛けていきたいです。

亀山:20年も続くなんて思っていませんでした。当時は少ない人数で毎日本当に忙しくて、今やってることが本当に正しいことなのかわかりませんでした。でも今20年経って振り返ると、ようやく自分たちがやってきたことが正しかったんだと感じています。採用では就職先にダーツライブを選んでくれる人がいる。人生の一部にダーツライブを選んでくれることが本当にうれしいです。 

竹之内:僕はここからだと思う。今やダーツはスポーツエンタテインメントとして子供たちもプレイするようになりました。ここからもっと自分たちも新しいダーツの遊び方を提供して、エンタメの世界を変えていきたいですね!まだまだ若い子たちにも負けないぞ!(笑) 



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