株式会社ダーツライブの日本本社で活躍する台湾出身の鄭 思吟。彼女は幼い頃から日本のサブカルチャーに触れ、学生時代に日本へ2度留学。その後、日本で働くことを決意します。日本に本社がある会社で働く充実とは。自身の仕事が海を越え、感動の花を咲かせていくやりがいを語ります。
▲工場視察で訪れた中国で
2021年現在、私は日本と海外支社のかけ橋となる海外推進チームでマネージャーを務めています。業務は大きく分けると、海外支社のサポートと翻訳管理の2つです。
海外支社のサポートは、製品やサービスの海外展開とプロモーション、制作物の監修などブランド管理になります。海外支社からキャンペーンやイベント手法について相談されることも多く、日本のノウハウを彼らにアドバイスすることも私たちの役目です。
翻訳管理では、プロモーションに必要な翻訳はもちろん、社内におけるビジネス上の翻訳についても一括して行っています。 どちらも効率的で円滑なコミュニケーションができるよう、常に心がけていますが、前者はいかに原文のテンションを大切にしながら海外のニーズを加えてアナウンスできるかに注力しています。 後者は主に社内の調整です。納期厳守はもちろん、依頼主と翻訳担当者の間に入り、原稿に対する理解に相違がないかを気に掛けることが重要です。
「海外」と一言でいっても、支社ごとに国の状況やマーケットの成熟度が大きく異なります。そのため、それぞれのリージョン(地域)に合ったサービスやサポートになるような調整が求められるのも、単なる翻訳部隊ではなく大きなフィールドで働ける理由だと思います。
▲前職の旅行会社勤務時代
私は小学生のころから日本の文化が好きで、12歳くらいのときに独学でひらがなとカタカナを覚えました。日本語のアニメソングを歌いたかったのです。
台湾で進学した大学では中国文学を専攻していたのですが、大学が日本の大学と姉妹校で交換留学を実施していました。私も日本がどんな国なのかを自分の目で見てみたいと思い、制度に挑戦し留学しました。 初めて日本に来た時の印象は、街がきれいで空気がおいしいと感じました。通学に電車を使っていたのですが、きっちり時刻表通りに動いているのも素晴らしいと思いましたし、決まりやマナーを大切にする人が多いとも思いましたね。
1年の交換留学が終わり、台湾へ帰る日には「もっと日本にいたい」と1日中泣いていました。日本での生活は楽しかったですし、こちらの友人と離れるのはつらかったです。 台湾へ帰った後、大学の残りの単位を取得しながら、どうにかもう一度留学できないかを調べました。
そして見つけた留学制度の試験に再び挑戦し、2度目の留学が叶いました。その留学中に日本語をビジネスレベルまで磨きたいと思い、日本で働くことを決心して、現在に至ります。
仕事探しでは、語学力と大学時代にアルバイトしていた旅行関係の経験を活かそうと思い、旅行会社に就職。外国人観光客向けの旅行商品を販売する業務を担当しました。 日本で働くという希望が叶いましたし、観光の仕事は楽しかったです。
ですが続けるうちに「幅広いオフィスワーク能力や日本語スキルの向上を目指したい」と考えるようになり、翻訳や通訳ができる会社へ転職することにしました。そのとき応募した会社のひとつがダーツライブです。
入社を決めた理由は、会社の雰囲気が非常にフレンドリーだったこと。ゲームの会社ということもあり、オフィスに一歩足を踏み入れた瞬間から、明るくてカラフルな会社だと感じました。面接でもみなさん気さくに話してくれましたし、社員の方の笑い声が聞こえてきて、働く人たちも本当に楽しそうなのが印象的でした。
入社後は主にオフィスや海外工場などで翻訳・通訳の業務を担当しました。次第に海外向けのプロモーションや海外子社の支援業務などが増え、現在は自社サービスのリージョン管理も担当しています。
翻訳・通訳の際に心がけていることは、誰にでもわかる通訳や翻訳をすること。語彙と言い回し、専門用語などには特に気をつけるようにしています。
意思疎通の試行錯誤は誰よりもしていると思います。たとえば、通訳業務で海外の工場に行くことがあるのですが、機械やプロダクトの知識が全くない中で、現地の工場の専門用語で投げかけられることがあります。
同じ言語同士でも伝わらないような用語が飛び交うことも多いので、その際には相手に素人でも分かるように説明してもらうようにお願いし、同時に私たちもスマホやパソコンを使って調べるなど、できるだけ認識にすれ違いが起こらないよう努力しています。
社内ミーティングでも、特にシステム部門やネットワークが議題の会議では内心焦ることもたくさんありますが、臨機応変に対応しながらスムーズな橋渡しをするのが重要な役目だと思っています。
▲台湾支社のスタッフたちと
ダーツライブに入社して10年目になりますが、私の意識を変えた大きな出来事は、台湾に長期出張したときのエピソードです。あるとき、台湾支社のトップに本社の日本人社員が就任することになったのです。台湾支社のスタッフたち全員が日本語が得意というわけではありません。
そこで彼らとトップの意思疎通を図るために、日本語と中国語が話せて、かつサービスや会社のことがある程度分かるということから間を取り持つ通訳者に選んでいただきました。 それまでも数日単位の海外出張はあったのですが、そのときは就任準備のために3か月の出張をすることに。
現場に入ってからは、現地スタッフの思想やこれまでのやり方をトップに伝えること、双方の間にしっかりとした信頼関係を築きあげることを第一に意識しました。そうしていくうちに、私自身も彼らのダーツや会社への想いに触れ、肌で感じるようになっていきました。実際のマーケット事情を自分の目で確かめることができたことも大きかったです。
私はそれまで、仕事は任された業務や目の前の任務をただ丁寧に対応することが正解だと思っていました。ですが日本での業務はどんなに小さな作業でも、それが海を越えて、台湾だけに限らず海外で花を咲かせているのだと実感しました。仕事への意識が大きく変わり、視野も広がりましたね。
この出張以来、国や言葉の壁を越えて一緒に何かを作り上げたときの感動は一際大きなものになりました。
コロナ禍以前は、ダーツの世界大会を私たちの会社が主催していました。
開催国の現地スタッフと日本本社が連携して、プロモーションや準備を進めていくのですが、準備期間から非常に大変で、当日の運営が完了するまで苦労が絶えないことも多くあります。
ですが大会当日にオープニングを迎えると、毎回涙ぐんで感動してしまいます。仕事のやりがいを再確認しますし、日々やってきたことや大変だったこと、苦労したこと一つ一つに意味があったのだと実感するからだと思います。
▲世界大会では各国から選手・観客が集結
ダーツライブの魅力は「どんなことがおもしろいか」を追及している人が集まっているということ。だからこそ、常に笑い声が絶えず、明るくて楽しい職場になっているのだと思います。
個性的なメンバーが「どうやっておもしろく働けるのか」から、さらに「どうやっておもしろく生きるか」にまで発展させて仕事をしている姿は、ほかの職場にはないダーツライブならではの魅力だと思っています。
海外へ事業展開をしていて海外支社もあるからこそグローバルな視野を持つことができますし、自分も成長できる環境なのです 。状況の違うマーケットを見ている社員と話すときや言語の違う相手にコミュニケーションを取るときは、相手に寄り添いながら意見を丁寧に伝えることが重要です。
「わかってもらえる近道はどこか」ということを意識しながら、物事の本質をとらえ違わないようにしていくので、私自身、言葉の構築力や洞察力が鍛えられたように思います。
日本と世界を結ぶ架け橋である海外推進チームは、本社と海外支社両方の生の意見を聞くことができる部署です。そのため、時には双方の意見調整が大変なこともありますが、共通しているのはどちらもユーザーを楽しませたいという想い、仕事への情熱です。
市場も大きく異なるので、考え方や価値観が異なって当然。間に挟まれやすい苦労もありますが、その間で架け橋となっていくことは私たちにしかできない仕事です。また、そんな時にこそ双方にとってベストな道を模索し提案することが面白さでもあります。
海外支社に対して一方的に押し付けるのではなく、それぞれにとって最善の出し方でサービスを届けていきたいです。今は特に、ポストコロナに向けて一緒に向かっていければと考えています。 昨年からは、各国のマーケット事情のみならず、現地の日常はどうなっているのか、どんなことが起きていて人々はどんな心情なのかなど、週に1度のペースで現地スタッフとオンラインで情報共有しています。
これからも日本本社の社員として各国と緊密な連携をはかりながら、世界へ私たちのサービスを羽ばたかせて感動を味わっていきたいと思います。