令和2年7月豪雨により被害に遭われた皆様へ

この度の豪雨災害により、お亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈りするとともに、被害にあわれた皆様に謹んで お見舞い申し上げます。皆様の安全と一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。

2020年7月15日 セガサミーグループ

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2021.01.22

日本とフランス、ふたつの文化をつなぐコーディネーターの挑戦

経営企画部で海外子会社との橋渡し役を担うブルジ・テオ。フランス出身の彼は、高校時代の交換留学をきっかけに日本に興味を持ちました。日本で働くことを選んだテオは、講師という仕事を経て、ダーツライブと出会います。そこには「新たな事に挑戦し続けたい」という想いがありました。

 

日本の暮らしに魅せられて。講師としてキャリアをスタート


▲日本学を専攻していた大学時代

私が日本に関わるようになったのは、高校生の時の選択科目がきっかけでした。

マイナー科目として日本語を勉強し始め、2週間だけ短期交換留学を経験することになったんです。当時は偶然選んだ科目くらいの気持ちで、そこまで興味があったわけではなかったんですけど(笑)。ただ、日本に来て印象が変わりました。文化も町並みもフランスとは全然違っていて、すごくおもしろいな、と。

そこから、大学でも日本について学ぼうと思い、日本学を専攻しました。その後、日本史や日本文学など幅広く勉強していくことで、更に興味が深まって大学5年目で日本へ留学することを決めました。 

高校生の頃に交換留学も経験していましたし、旅行で2週間〜1カ月ほど滞在していたこともありましたが、留学して1年間暮らしてみると視点が大きく変わりました。  

高校時代は、やはり浅いところしか見えていなくて、24時間やっているコンビニや町並みなど目に見えるところに興味がありました。しかし、長く住むと、生活の便利さに目が向きます。  

「人」の良さもとても感じました。単純な言い方ですが、誰もが優しくて……。加えてすごく安全な国でもあったので、ここで生活を続けるのも良いなと思うようになりました。  

フランスの大学は基本3年で、その後は修士課程が2年、合わせて5年という形。留学を終えたら、フランスに帰って卒業するつもりが、帰国せずに就職する道を選びました。大学の基本の3年はもう卒業していたので、修士課程は別に卒業しなくてもいいかなと思ったためです(笑)。  

そうして最初は、フランス語を教える学校に講師として就職しました。先生という仕事は、いろいろな人と関わることができておもしろかったですね。ただ1年ほど働く中で、学校のPRやマーケティングにも関わるようになり、そちら側の仕事に興味を持つようになったんです。 

また、講師という仕事は、どうしても同じことを繰り返している気がしていたので、もしかしたら自分には向いていないのかもしれないとも思うようになり、転職活動をはじめました。

 

 

同じ仕事をしている気がしない、挑戦の連続

▲フランスで開催された国際大会で

ダーツライブの求人を見つけたのは偶然でした。海外企業で、主にフランスに関わる仕事というアナウンスがあり、とりあえず選考を受けることにしたんです。 

入社してすぐ、海外事業という部署に配属されます。そこではプロモーションサポートやプロモーションの企画をしていました。フランス人パートナーとの交渉や新しいことをやろうとしていた時期だったため、私は通訳と翻訳の業務を担当することが多かったですね。   

一般企業で働くことや、日本での仕事のやり方を覚えることなど、自分にとって初めてのことばかりだったので、とても勉強になりました。慣れるまでには時間がかかりましたが、自由にやらせてくれる上司たちがいる、いい環境でした。 

また、同時に全世界のプロモーションの企画にも関わっていたため、1カ国・1リージョンだけに集中するのではなく、幅広くマーケットを見ることができたこともよかったです。  

全世界へ向けてのプロモーションになると、国に合わせた企画やアプローチを考える必要があります。しかし、ユーザーの期待しているところや、ユーザーの価値観、ビジネスの仕方は、国によって全部違っているんです。そうした学びを得られたのは、今にもつながっていると感じます。   

毎日のように新しいことをやっているという点は、今も変わっていません。新しい問題が出てきて、それをどう解決するか、何をすべきかを常に考えないといけなくて、同じ仕事をしている気がしないんです。そこが、一番のやりがいですね。   

私にとっては新しいことに自由にチャレンジができることが、仕事をする上でとても重要。ダーツライブの求人を見つけたのは偶然でしたが、「同じことを続けたくない、新しい挑戦をしたい」という性格に、ぴったりの環境に巡り合えたと思っています。

 

 

フランス現地と日本の異なる文化の中で関係を育んでいく

▲ソフトダーツ最高峰の国際大会「THE WORLD」

これまでの仕事の中でも、フランスの子会社の設立は印象的なできごとでした。  

フランスの子会社設立前までヨーロッパの事業はイギリスに支店があったのですが、フランスのマーケットの重要性を考えると、お客様との信頼関係や税金の処理などいろいろな面でフランスに支店を作った方がやりやすいことに気付きました。そこでゼロから支店を作ることになったんです。  
苦労したのは、手続きです。フランスの仕事のやり方と、日本のやり方との違いにやきもきさせられました。  

フランス人はワークライフバランスをしっかり重視するので、重要なことに関してメールを送っても、自動返信で「これから2週間休みでいない」と返ってくるなんてことも普通にありますよ(笑)。 そのために、双方のやり方を理解・尊重しながら、柔軟に対応する能力がとても重要です。  

フランスに関する仕事であれば何でも携わっていたのですが、それによって「フランス関連であれば誰よりも詳しい人」という立場になっていき、責任感が芽生えていったんです。 

「私なら何でもできます」「全部聞いているので情報を集めて分析して何か提案できます」という気持ちが出てきた結果、ビジネスモデルのやり方、交渉の進め方など突き詰めていくようになり、それが成長につながりました。 

ギャップがある現地と日本をつなぐ橋渡し役として、コミュニケーションを丁寧に取ることは意識していますね。  

マーケットのステークホルダーに関していうと、ユーザーとマシンをディストリビューションしているお客様と、現地のスタッフ、当社のスタッフがいます。その全員にきちんと本社がついている安心感を持ってもらえたらな、と。直接連絡して、孤独にならないように、何か期待していたらそれをきちんと伝えてくれるような関係性を構築できたらベストです。

また、「THE WORLD」という国際大会も、印象に残っています。THE WORLDはフランスでも開催を行っているのですが、毎年日本と香港からスタッフが来てくれます。

そこで現地のチームと、日本や香港から来てくれるスタッフのコミュニケーションや、段取りの調整を行いました。世界大会という大規模なイベントを成功させるための取り組みになるため、一番おもしろかったです。 

2020年はコロナによって中止となってしまったのですが、またできることを楽しみにしています。

 

 

コロナ禍の今、コーディネーターとして描く未来

世の中が落ち着いたら、シンプルにまずは元に戻したいと思っています。コロナウイルスが流行する前のお店やユーザー、プレイヤーの状態に戻すことから始め、それから新しい施策を入れていきたいです。  

今ユーザーたちが一番期待しているのは、コロナの影響で中断せざるを得なかったリーグやチャンピオンシップの再始動です。私自身もとても楽しみにしていますし、それをまず成功させなければなりません。 

私たちが提供するサービスに触れるプレーヤーが喜ぶコンテンツを出せた時は、もちろんすごく嬉しいです。ですが、それを出していくためにはまずは各メンバーや仲間の頑張りが必要なので、「元に戻すため」に頑張れることを楽しみにしていますね。  

私は、仕事上の成長を感じた時、お客様が喜んでくださった時、メンバーが頑張ってくれた時─、そのすべてにモチベーションを感じますし、感じなければいけないと思っています。 

これまでも、それらがうまくいったときに自分の成長や満足感を感じてきました。この3つはそれぞれ独立しているのではなく、連動しているんです。 

昨年、私はふたつの異なる文化の間のリンクすること、その間のコーディネーションをやることに非常にやりがいを感じてきたのだと、改めて確認しました。そうした環境の中で新しいことに挑戦し続けられていたことは、恵まれています。

これからも、一つ一つの仕事を通して周囲からの信頼を得て、自分の裁量や領域を大きくしながら、日本と海外の架け橋として、絶えず挑戦し続けたいと思います。

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