00
イギリスで生まれた
スティールダーツ
ダーツの起源は今から500年以上も昔のこと。
1455年のバラ戦争の戦場に駆り出されたイギリス軍兵士たちが考えた出し、戦いの余暇に武器であった弓矢を使って特定の的を目がけて矢を射り、腕を競い合ったのがルーツとされています。
ダーツの矢の先端は金属でできており、現在では「スティールダーツ」と呼ばれています。
01 日本のダーツのはじまり
1960年代前半イギリスから来た船によりダーツが横浜の港に持ち込まれことが日本のダーツの始まりといわれています。(諸説あり)
英国式パブや大使館などにダーツが置かれるようになり日本にいる外国人によってダーツがプレイされるようになりました。
STEEL DARTS
イギリスからダーツが上陸
STEEL DARTS
イギリス生まれのダーツが船によって日本へ。
STEEL DARTS
外国人から日本人へダーツが広がっていく
STEEL DARTS
パブでリーグ戦が行われるようになる。こうして外国人から日本人へとダーツが伝わっていき、 少しずつダーツをプレイする人たちが増えていく。
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日本ダーツ協会設立
STEEL DARTS
COLUMN
70年代のダーツ事情を聞いてみた!
公益社団法人日本ダーツ協会
萩尾純子さん
1970年に東京六本木で任意団体として日本ダーツ協会は産声をあげました。当初の会員は外交官や在留外国人を中心に国際色豊かにスタート。
当時はお店を主体としたパブリーグが盛んでした。
協会設立当時から現在も
ワッペンに使用されているロゴ
STEEL DARTS
初の公式大会が開催
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第一回日本選手権を東京で開催。
スポーツ団体として正式に競技会活動が開始される。
02
日本のダーツが
世界の仲間入り
1977年に日本が世界ダーツ連盟に加盟すると、海外の大会に日本人が挑戦したり、日本で国際大会が開催されたりと世界を舞台に活躍する日本人選手が登場。ダーツの舞台が世界に広がっていきました。
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世界ダーツ連盟(WDF)に日本が加盟
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1976年に世界ダーツ連盟 がロンドンで設立。翌年日本も加盟する。
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第1回ワールドカップに日本代表が出場
STEEL DARTS
イギリスで開催された第1回ワールドカップに日本代表が初出場する。
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日本でオープン大会が初開催
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日本ダーツ連盟主催 英国大使館協賛 JAPAN DARTS OPENが青山ブリティッシュセンターで開催され、約250名が参加した。
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国際大会が日本で初開催
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国際大会である第2回アジアカップが東京プリンスホテルで開催される。
COLUMN
80年代から活躍するレジェンドに聞いてみた!
浅野ゆかり選手
私がダーツに出会ったのは1982年ごろ。ダーツリーグ団体が都内でできたころでリーグ戦で投げたり、トーナメントにも参加したりしてました。
ダーツは勝ち負けがはっきりつくのが好きで一生懸命に打ち込めました。
その後、日本代表メンバーとして国際大会で投げる機会が多くなりました。一番最初に出た国際大会は1994年にシンガポールで開催されたWDFアジアカップでした。当時、第一線で活躍していた女子プレイヤーの小山陽子選手と代表になれてとても嬉しかったの覚えています。結果はシングルス、ダブルスともに優勝することができました。
一番記憶に残っているのはカナダで行われたゴールデンハーベストでの大会。男子優勝がジョン・パート選手で女子優勝が私でした。ダーツ専門誌『Bull‘sEye』の表紙になってビックリしたことをいまでも覚えています。
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日本初スティールプロ団体設立
STEEL DARTS
スティールダーツプロ団体 JAPAN PRO DARTS ORGANIZATION設立される。
STEEL DARTS
第1回文部大臣杯ジュニアダーツ
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小中学生を対象とした初の文部大臣杯ジュニアダーツ選手権が東京都国立市で開催される。
日本ダーツ協会から発行されていた冊子「Darts」
STEEL DARTS
日本人がダーツ世界ランキング1位に
STEEL DARTS
国際大会で年間6回すべてに優勝した小山陽子選手が日本人として初の世界ランキング1位を獲得。
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ワールドダーツグランプリが日本で開催
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日本ダーツ協会が主催するワールドダーツグランプリが日本で開催。本場ヨーロッパからジョン・ローをはじめとした世界トップ選手たちが来日。日本ダーツ史上最高額の賞金総額5000万円のトーナメントとなった。
COLUMN
外国メディアが殺到!
賞金総額5000万円!
歴史的な大会が日本で開催されていた
1988年6月、ダーツの世界大会「ワールドダーツグランプリ」は千葉県浦安市のホテルで3日間にわたり開催されました。賞金総額は当時のダーツ史上最高額である5000万!世界中からのトッププレイヤーが来日し、数百人のダーツファンが会場に詰め掛けました。
この大会で一番注目を集めていたのはTV放映で世界初のナインダーツを達成したジョン・ロー選手でしたが最終的に高額の優勝賞金を手にしたのは決勝戦でロシアのラッセル・スチュワートを破ったイギリスのエリック・ブリストゥ選手でした。
大会を見に行った人に聞いてみた!
ダーツ界のレジェンド
谷田孝夫さん
覚えとるよ、世界トップの16人に日本人選手16人が挑んだけどあかんかったわ。誰も勝てんわな。
エリック(ブリストゥ)が優勝して2000万円持っていきよったわ。強かったなぁ。
ボクはジョン・ローが好きやからずっと見とったよ。そりゃあ素晴らしかったわ。
STEEL DARTS
JSFD(Japan Sport Federation Of Darts)が設立
STEEL DARTS
日本における世界ダーツ連盟(WDF)加盟団体としてJSFDが設立。世界ダーツ連盟が主催するワールドカップなどの大会に日本人代表を派遣する機能を持つ。2008年に一般社団法人化する。
03
アメリカから
ソフトダーツマシンが上陸
1982年にアメリカのメダリスト社がエレクトリックダーツと呼ばれる電子系のダーツボードを開発し、それが1999年に日本に上陸しました。
このダーツボードはビットと呼ばれる矢が刺さる穴が空けられたプラスチック製で自動計算機能と液晶があることが特徴です。
エレクトリックダーツの発明はダーツを大きく変える出来事でした。これを機に、ダーツはソフトダーツとスティールに分かれていくことになります。
SOFT DARTS
アメリカからソフトダーツが日本に上陸
SOFT DARTS
COLUMN
当時のダーツ事情を知るダーツライブ社員
水上さん
当時はいわゆるダーツバーと呼ばれる店はなく、飲み屋さんにダーツマシンが置いてある感じでした。知る人ぞ知る遊びとしてじわじわと人気が広がり、横浜、六本木でソフトダーツマシンが置かれていました。
04 ソフトダーツブームの到来
ネットワークにつながったソフトダーツマシン「ダーツライブ」と、ダーツを主体としたダーツバーの登場が相まって、ソフトダーツのブームが到来。
これを機に日本で「ダーツ」の知名度が高まり、テレビで特集されたり、ダーツバーに長蛇の列ができるようになりました。
SOFT DARTS
ソフトダーツマシンがオンライン化
SOFT DARTS
株式会社ダーツライブがソフトダーツマシンをオンライン化し、ICカードでプレイデータを記録するシステムを開発。これによりオンライン上でデータ等が閲覧できるようになる。
COLUMN
ダーツライブの開発に携わった社員に聞いてみた!
「ダーツマシンをネットワークにつないで簡単に記録できるようにしよう」
当時のダーツマシンは自動計算はできたものの、大会に出るためにはハンデ算出のためにレーティングを算出する必要がありました。プレイ結果を紙に書いて記録するんです。
バーでお酒を飲みながら結果を紙に残し、書き残した沢山の結果を集計するのは面倒で、グラスの水滴でぐちゃぐちゃになることも多々ありました。そこで「ICカード認証できるようになったらいいのに」と思いついたアイデアだったのです。
ダーツライブが発行していたフリーペーパー「LIVE CONNECT」のダーツライブマシンの説明
SOFT DARTS
ソフトダーツのトーナメントにスティールダーツの世界トップ選手が出場
SOFT DARTS
メダリストジャパンが主催するソフトダーツビッグトーナメント「MJ TOURNAMENT」に出場するためにスティールダーツの世界トッププロであるフィル・テイラー選手やジョン・パート選手が来日。大会は2日間にわたって開催され約 4000人が参加した。
SOFT DARTS
ソフトダーツ初の全国トーナメントが開催
SOFT DARTS
ソフトダーツプレイヤーの頂点を決める初の全国トーナメント「burn. JAPAN TOUR 2005」が開催。
2006年には日本最大級となる全国トーナメント「ダーツライブジャパントーナメント」が開催された。
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日本ソフトダーツスポーツ振興協会発足
SOFT DARTS
ソフトダーツの発展と文化を確立することを促進するべく設立。
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東京ビッグサイトでソフトダーツの大規模イベントが開催
SOFT DARTS
ダーツライブが主催する「ダーツライブパーティー」が東京ビッグサイトでオールナイトイベントが初開催。ダーツライブファン約5000人が参加。
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ソフトダーツの観戦型イベント「SUPER DARTS」が初開催
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「ダーツライブジャパントーナメント 06-07」の最終決戦の舞台として「SUPER DARTS」が開催。日本全国1000店舗で予選、参加者述べ2万人の中から勝ち上がった16名がSUPER DARTSの舞台に立った。第1回優勝者は江口祐司選手。
05 ソフトダーツのプロ団体の誕生
ソフトダーツのブームで日本のダーツ人口が増えると国内では大きなトーナメントが開催されるようになり、2007年に初となるプロ団体が設立されました。現在は「JAPAN」と「PERFECT」2つのプロ団体が存在しています。
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ソフトダーツのプロ団体が初設立
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2007年を皮切りにソフトダーツのプロ団体「PERFECT」「D-CROWN」「SOFT DARTS PROFESSIONAL TOUR JAPAN」が設立される。
COLUMN
NewDartsLife編集長
益田英明さん
日本のダーツ界を長いこと見てきましたがやはり現在にいたる歴史の中で大きな出来事と言ったらダーツプロ団体が立ち上がったことじゃないでしょうか。
PERFECT、D-CROWN、JAPANとプロ団体が立ち上がりましたが、今のダーツシーンにも大きな影響を及ぼしていますね。日本ソフトダーツプロは世界が羨ましがる魅力があります。
ソフトダーツマシンの普及にもつながっていると思います。これからも日本のダーツ界をリードしていく存在であることは間違いないでしょう。
06 PDCワールドチャンピオンシップへ挑戦する日本人
PDCワールドチャンピオンシップはイギリスで毎年開催される世界最高峰のスティールダーツのトーナメント。賞金総額はなんと4億5000万円(2023年現在)と超高額!
そんなPDCワールドチャンピオンシップに日本代表を派遣する目的で2009年に「プロフェッショナル・ダーツ・ジャパン(PDJ)が設立されました。PDJが主催するトーナメントで優勝した1人がPDCワールドチャンピオンシップの出場権が与えられるようになり、これまで多くの日本人選手がPDCに挑戦し続けています。
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PDJ(プロフェッショナル・ダーツ・ジャパン)が設立
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PDJ主催のPDCワールドチャンピオンシップへ日本代表を選出するトーナメントが開催される。
COLUMN
FarEastDarts
野村佳史さん
PDJには立ち上げから関わらせてもらい日本トップの選手をPDCに派遣してきました。
なかでも村松治樹、橋本守容のふたりの選手は記憶に強く残ってます。彼らのイギリスでの人気は護衛が付くほどでした。
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アジアパシフィックが日本で開催
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世界ダーツ連盟(WDF)加盟のアジアオセアニア各国から代表チームが日本に集まる。2016年にも国内二回目となる同大会が開催。
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ソフトダーツのU-19大会が初開催
STEEL DARTS
若い才能を発掘する19歳以下限定のトーナメントが開催。
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ソフトダーツの世界トーナメント「THE WORLD」が誕生
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2009年にダーツライブが海外に進出すると、ソフトダーツのトーナメントが海外でも開催されるようになる。一回目は香港で開催された。
日本ダーツ協会が公益社団法人へ
ダーツ団体として内閣府から公益社団法人の認可を受ける。
STEEL DARTS
PDCが日本で初開催
STEEL DARTS
PDC JAPAN MASTERSが横浜で開催。
PDCトップ選手8名と予選を勝ち抜いた日本人選手8名が参加。フィル・テイラー選手が優勝。翌年もPDC JAPAN MASTERSが代々木体育館で開催される。
COLUMN
ハードダーツ・スティールダーツ論争!?
日本ではスティールダーツのことを「ハードダーツ」と呼ぶ人のほうが多くいますが、実はハードダーツは和製英語って知っていました?
なぜハードダーツと呼ばれるようになったかというと、日本ではソフトダーツのほうが認知があったのでソフトダーツに対して「ハードダーツ」と呼ばれるようになったようです。
2000年代当時、スティールダーツなんて言うとちょっとスカした人なんて言われてしまったり(笑)
しかし近年、日本のトッププレイヤーたちが本場ヨーロッパでプレイする機会が増えると「ハードダーツ」よりも「スティールダーツ」という呼び方をする人が増え始めバレルメーカーもそれに習いつつあり「スティールダーツ」という呼び方が徐々に一般化しつつある傾向です。
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ワールドカップが日本で開催
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世界ダーツ連盟ワールドカップが神戸で日本初開催。世界中から代表チームが集まり一週間に渡り試合が行われた。
COLUMN
ソフトダーツマシンの進化ってすごい!
ソフトダーツが日本で遊ばれるようになって20年以上。マシンの進化はどうなっていったのでしょうか。2003年、既に市場にあったメダリストのマシンにコンバージョンキットを付けてネットワーク化したのが最初のダーツライブ。
2008年にダーツライブ2がリリースし、ダーツライブの特徴である光る盤面が搭載しました。そして通信対戦も可能となり、海外にいるユーザーと一緒にプレイすることができるように。
2018年に最新機種であるダーツライブ3がリリース。近未来なスマートな見た目だけでなく、機能も次世代。新しく、フルビットセンサー、矢速、点数を呼びあげてくれるボイスなど様々な機能が備わりました。
SOFT DARTS
ダーツの夏フェス「日本ダーツ祭り」が初開催
SOFT DARTS
ダーツライブが主催する日本最大級のダーツの祭典が東京ビッグサイトで2日間に渡って開催され、約7000人が来場。トーナメント出場の他、世界大会の観戦、ミニイベントやグッズの買い物など、試合に参加しなくても楽しめるオフラインイベント。以降毎年開催されダーツプレイヤーの夏の定番となった。(2020、2021年を除く)
SOFT DARTS
ソフトダーツワールドカップが開催
SOFT DARTS
ソフトダーツの国別対抗戦が初開催。カナダ、香港、フィリピン、シンガポール、アメリカ、マカオ、韓国、日本の8か国が出場し、香港が優勝。
SOFT DARTS
「SUPER DARTS]で世界最強のフィルテイラーを破り日本人が優勝
SOFT DARTS
2007年に初開催された観るダーツ「SUPER DARTS」は回数を重ねパワーアップ。
2018年にはスティールダーツで世界最強と言われるフィル・テイラー選手を招待。決勝戦で日本の村松治樹選手がフィル・テイラー選手を破り優勝を果たす。
COLUMN
村松選手に優勝の感想を聞いてみた!
スティールダーツでフィル・テイラー選手を倒すことがずっと目標だったけど、その夢が叶う前にフィルは引退を発表してしまいました。だけど、ソフトダーツで勝つことができたので本当にうれしいです。
もちろん優勝するつもりで出場していましたけど、猛者だらけの大会だったので、優勝できる自信は、正直・・・(笑)。逆にそれが、油断をすることもなくプレッシャーにもならずに挑めたのかな、と思います。
優勝を確信したのは最後にブルを入れた瞬間ですね。最後の最後まで本当にわからなかったです。
SOFT DARTS
ソフトダーツマシンが風営法の対象外となる
SOFT DARTS
一般社団法人日本ソフトダーツ健全性推進協会の働きかけにより、風営法等の解釈運用基準が改正。風営法対象ゲーム機として規制の対象とされない扱いとなり、ソフトダーツはスポーツとして認められた。(※一定の基準を満たすことが条件)
STEEL DARTS
BDOレイクサイド世界選手権で日本人世界チャンピオンの誕生
STEEL DARTS
2019年にイギリスで開催されたBDOレイクサイド世界選手権で鈴木未来選手が優勝。翌年の同大会でも優勝し、日本人として初の二連覇を達成する。
COLUMN
当時を振り返ってどうだったか鈴木選手に聞いてみた!
1回目も信じられない気持ちでしたが、連覇も信じられませんでした。本当にうれしかったです。周りはすごい選手だらけ。自分のやるべきことをやるだけと思ってプレイしました。
SOFT DARTS
ダーツの日が制定
SOFT DARTS
数字の1をダーツに見立てて1が3つ並ぶ11月1日を「ダーツの日」と制定される。
COLUMN
どうして11月1日?
ダーツは、フィニッシュを決めるという意味でもカバーをするという意味でも、3本目が非常に大事です。『最後の一本、ここで決める!』という気持ちの乗る1本に、意味を込めたくて。だから1月11日よりも、最後の1に重きをおいた11月1日なんです。
SOFT DARTS
「生涯スポーツとしてダーツを推進する議員連盟」が発足
SOFT DARTS
スポーツとしてのダーツを普及することで世代を超えたコミュニケーション創出、高齢者の健康促進といった社会的課題に貢献していくことを目標に掲げ、ダーツを推進する議員連盟が発足。
COLUMN
発起人である朝日健太郎議員に聞いてみた!
ダーツは男女の体格差や障害の有無、年齢差を問わず、幅広い層に向けてプレー出来る事に加え、デジタルダーツはオンラインで場所や国境を超えてプレーすることが可能であることなど、ビヨンドスポーツとしても期待できます。
だからこそ、小・中学校、高校などの学校教育の中で積極的にダーツ競技が実践されるように国会議員としても後押ししていきます。
STEEL DARTS
PDCアジアチャンピオンシップが日本で開催
STEEL DARTS
PDCアジアンチャンピオンシップが福岡で開催。4日間にわたるトーナメントでPDCアジア代表を決定した。
SOFT DARTS
日本のダーツ人口が595万人を突破
SOFT DARTS
ダーツに関する実態調査を実施。1年以内にダーツをプレイした推定人口は595万人と日本人の21人に1人がダーツでプレイしたことがあるという結果になった。
COLUMN
最近のスティールダーツ事情を聞いてみた!
ダーツカフェ「DOLLiS」オーナー
Dollyさん
2015年、PDCが日本で開催されましたが会場はガラガラな状態でした。あれから8年、いまPDCが日本に来たら会場はファンでいっぱいになるということでしょう。それだけここ数年でダーツ界におけるスティールダーツのシェアはアップしました。
ソフトダーツのトッププロもスティールダーツをプレイする選手が非常に増えました。バレルにおいてもソフトモデルだけでなくスティールモデルを販売する国内メーカーが多くなりました。
昔はスティールダーツというとプレイヤーの年齢層が圧倒的に高かったのですがここ数年で若年層のプレイヤーが増えてきた印象を受けます。これはとてもよい傾向だと思います。
これから日本が目指すべきは世界への挑戦でしょう。鈴木未来プロが2度の世界チャンピオンという快挙を成し遂げていますが、やはり日本スティールは世界と比べるとまだまだ力が及ばないという実情があります。
しかし間違いなく日本のレベルは上がり続けています。世界で活躍する日本人選手がたくさん出てくる日もそう遠くないでしょう。日本はソフトダーツとスティールダーツという2つのダーツがプレイできる素晴らしい環境があります。
これからも多くの人がダーツに触れその楽しさを知ってくれることを願っています。
COLUMN
最近のソフトダーツ事情について聞いてみた!
株式会社ダーツライブ
執行役員
阿部 佑紀さん
株式会社ダーツライブ
執行役員
宮崎 誠さん
阿部:この20年で大きく変わったのはダーツが遊ばれる場所が多様化したということですね。20年前は「ダーツバー」という言葉すら存在せず、あくまでバーが主体。ダーツは、お酒を飲みながら楽しむ大人の遊びという少しアンダーグラウンド色の強いものでした。
2003年にダーツライブが登場し、ダーツを主体としたバーが全国各地に広がり、2000年代後半にビリヤード場などにも置かれるようになりました。さらにネットカフェやゲームセンターへと普及し、設置場所が広がっていく過程で、大人だけの遊びだったダーツが学生やファミリーなど幅広い層に遊ばれるようになりました。
宮崎:今年の夏、東京ビッグサイトで開催した日本ダーツ祭りには子ども連れのファミリーからカップルまで幅広い人が遊びに来てくれましたよね。この数年でダーツをプレイする女性も本当に増えました。ダーツで遊べる場所が変わり、人が変わり、そして遊び方も時代と共に変わってきました。
通信対戦が登場し離れた場所で対戦ができるようになったり、ホームダーツが登場したり、競技やスポーツとしてダーツをプレイしている人も増えました。最近では、学校や高齢者施設でのダーツ体験会など、新しい取り組みも積極的に行っています。これからも変化していく世の中に合わせて、もっと多くの人がダーツを楽しんでもらえる新しい未来を作っていきたいです。
※この年表は株式会社ダーツライブ独自の調査によるものです。
※この年表は株式会社ダーツライブ20周年を記念して制作したものです。